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神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)1756号 判決

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  請求

被告は原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一一日から同六一年一〇月三一日まで年一四パーセントの割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、訴外有限会社ケイビック(以下「ケイビック」という。)との間で、昭和五九年七月一三日、掛金契約、証書貸付、手形貸付、手形割引等の取引を内容とする相互銀行取引契約(以下「取引契約」という。)を締結した。

次いで原告は同年九月六日ケイビックとの間で、取引契約により発生する債権を担保するため、ケイビックと被告間で同年八月二一日締結された別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の賃貸借契約に基づき、ケイビックから被告に差入れた敷金四五〇〇万円(ただし、後に三〇〇〇万円に変更)の敷金返還請求権に質権を設定する契約を締結し、被告は、確定日附のある証書で右質権設定を承諾した。

2  原告は、ケイビックに対し、取引契約に基づき、昭和五九年九月六日手形貸付の方法で二〇〇〇万円を貸付け、その後手形書替えを重ね、最終的に弁済期を同六〇年六月一〇日と定めたが、ケイビックは右弁済期に弁済しない。

3(一)  被告とケイビック間の本件建物賃貸借契約は昭和六〇年一〇月一日合意解除されて終了し、ケイビックは同日本件建物を明渡したので、被告のケイビックに対する三〇〇〇万円の敷金返還の弁済期日が到来した。

(二)  仮に右時期でないとしても、被告は、ケイビックのあとに、本件建物の賃貸借契約を締結した有限会社ピーク・ア・プー(以下、単に「ピーク・ア・プー」という。)から本件建物の明渡しを受けて自営を始めた昭和六一年五月一日に右敷金返還期日が到来した。

4  よって原告は、敷金返還請求権の質権に基づき、被告に対し、被担保のケービックへの貸付金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一一日から同六一年一〇月末日まで約定の年一四パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。

(二)  同3(二)の事実中、被告がピーク・ア・プーと本件建物(二階のサロン部分を除く)の賃貸借契約をしたことは認めるが、その余は否認する。

ピーク・ア・プーはケイビックの資金援助者で、両者は共同で営業し本件建物の使用を続けた。そしてピーク・ア・プーが昭和六一年四月本件建物から退去したあとも、ケイビックは本件建物内に自らの所有物件やリース物件を放置し、これらの物件を本件建物から搬出したのは昭和六二年四月中であるから、ケイビックが被告に本件建物の明渡しを完了した時期は同年四月中である。

4  同4の主張は争う。

三  抗弁

1(一)  被告とケイビックとの本件賃貸借契約は、敷金の返還につき、次の特約がある。

賃貸借期間(昭和五九年一二月五日から同七四年一二月四日までの一五年)中に、賃借人の都合により契約を解除する場合は、賃貸人が受取った敷金の額より次の割合による金額を控除してその残額を賃借人に返還する。

(1)賃貸借開始の日より満五年以内に解除する場合一〇〇パーセント、(2)満八年以内の場合八〇パーセント、(3)満一〇年以内の場合四〇パーセント、(4)満一五年以内の場合二〇パーセント。

賃貸人の都合により契約を解除する場合は、賃貸借期間の経過日数に関係なく、賃貸人は賃借人に敷金の全額を返還する。

(二)  ところでケービングは、手形不渡を出して昭和六〇年一二月以降本件建物に出入りしなくなり、同六一年五月ころに本件建物の使用を放棄したが、本件建物に放置の所有物件等を搬出し、被告に対し本件建物の明渡しを完了したのは同六二年四月中である。したがって本件賃貸借契約は賃貸借開始後五年以内にケイビックの都合により終了したのであるから、被告は、本件特約により、ケービックに対し、受領した敷金全額の返還を要せず、被告の本件敷金返還義務は発生しない。したがって、被告から原告に敷金を返還する理由はない。

2  原告とケイビンクとの間に締結された敷金返還請求権の質権設定契約に前記敷金返還の特約が付されていないというのであれば、被告がした右質権設定契約の承諾は不成立又は無効である。すなわち、被告はケイビッグと敷金返還につき本件特約のある賃貸借契約を締結していたのに、本件質権設定契約に当たり、ケイビックから原告に差入れた店舗入居敷金担保差入書及び質権設定承諾依頼書には、本件特約の記載がない建物賃貸借契約書が添付されたので、敷金返還につき本件特約がない敷金返還請求権につき質権設定契約がなされ、被告がこれを承諾したかたちとなった。しかしながら敷金返還請求権を目的とする本件質権設定契約において、前記の敷金返還に関する本件特約は契約の要素をなすものであるところ、敷金返還につき本件特約がない敷金返還請求権の質権設定契約であるならば、被告はこのような質権設定を承諾する筈がなく、被告の本件質権設定の承諾には要素の錯誤がある。原告に対する被告の本件質権設定契約の承諾は不成立又は被告の錯誤による意思表示として無効である。

3  仮に右承認が有効であるとしても、敷金は賃貸借終了後建物の明渡しを完了した時に、それまでに生じた賃料相当の損害金その他賃貸借契約により生じた賃貸人の賃借人に対する一切の損害を担保するものであるから、この被担保債権を控除してなお残額があれば、賃貸人から賃借人に右残額を返還することになるところ、本件において被告はケイビックに対し、次のとおり本件賃貸借契約により生じた損害金債権を有するので、これを控除すると、返還すべき敷金はない。

(一) 昭和六一年五月一日から同六二年三月三一日までの賃料相当額の損害金一六五四万円。

ケイビックは、昭和六一年五月ころ本件建物の使用を放棄したので、被告との本件賃貸借契約は終了したところ、本件建物から退去して原告に本件建物の明渡しを完了したのは昭和六二年四月中であるが、その間原告に対し賃料(一カ月一五五万円)を支払わない。そこで六一年五月一日から同六二年三月三一日までの本件建物の賃料相当の損害金は、一カ月一五五万円の一一カ月分一七〇五万円となるが、ケイビックはトップアンドラッシュに本件建物の二階事務室の一室を転貸し、被告は同社から昭和六一年五月から同年一一月四日まで賃料五一万円を受領したので、これを控除すると、被告が被った賃料相当の損害金は一六五四万円となる。

(二) 本件建物の全面改装工事費用二五〇〇万円。

本件建物はケイビックの用途に合わせたスタジオ用特殊建物であり、テナントの互換性に欠けていた。従って本件賃貸借契約において契約期間は長期継続を前提としていたが、賃借人が中途で契約を終了させた場合、本件建物のままでは、代替テナントの確保が見込まれず、被告は、本件建物を通常の事務所建物に大改築する必要があり、多額の改築改装費の出費を余儀なくされることは、ケイビックにも十分予測されていた。被告は、ケイビックが本件建物を明渡したあと、本件建物を別表仕上表記載のとおり改築改装し、別表改修工事費記載のとおりの費用を支出し、少なくとも二五〇〇万円相当の損害を被った。

(三) 本件建物の二階サロン(喫茶店)の内装工事費の立替分九〇〇万円。

本件建物の二階サロンは、スタジオ施設に付随するものとして、当初の本件賃貸借契約の内容に含まれており、ケイビックは株式会社インテリアシンタニ(以下単に「シンタニ」という。)と、二階サロンの内装工事請負契約をし、シンタニは工事を完成した。右工事請負代金は九〇〇万円と合意されていたが、ケイビックがシンタニに右代金を支払わないので、被告はシンタニに対し、昭和六〇年七月五日五〇〇万円、同月三〇日四〇〇万円、合計九〇〇万円をケイビックのため立替えて支払った。従って被告はケイビックに対し九〇〇万円の立替金を有するが、ケイビックから支払いがないので、本件賃貸借契約によって生じた損害に該当する。

(四) トップアンドラッシュに対する立退料 一五一万円。

トップアンドラッシュは、ケイビックから本件建物の二階事務室の一室を転借し、印刷デザイン業を営んでいた。ケイビックは原告に本件建物を明渡す際、自らが転貸した事務室からトップアンドラッシュを退去させなければならないところ、これを放置してしまったので、被告は、トップアンドラッシュと協議し、同社に立退料一五一万円を支払い、右事務室の明渡しを受けた。被告がトップアンドラッシュに出費を余儀なくされた右立退料一五一万円は、本件賃貸借契約に関して生じた損害に該当する。

(五) 以上の(一)ないし(四)の損害金の合計は五二〇五万円となり、ケイビックが被告に差入れた敷金三〇〇〇万円を越えるので、被告からケイビックに返還すべき敷金は存しない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

仮に本件賃貸借契約において、被告主張の敷金返還の本件特約が約定されたとしても、右特約は本件質権設定契約の締結以後に被告とケイビックとの間で約定されたものであり、被告が原告に対し敷金返還請求権の質権設定を承諾したときには右特約は存しないから、右特約をもって原告に対抗できない。

2  同2の事実は否認する。

3  年3の事実は否認する。

また、敷金から控除できる損害金は、本件賃貸借契約における債務不履行による損害金のみであるから、被告主張の(二)ないし(四)の損害金は敷金から控除できない。

五  再抗弁(抗弁1、2に対し)

1  仮に敷金の返還につき被告主張の本件特約が約定されたとしても、五年以内に解除の場合敷金の全額を控除できるといった特約は、公序良俗に反し無効である。

2  仮に被告がなした本件質権設定契約の承諾に錯誤があるとしても、被告は右特約がない賃貸借契約書を原告に持参し、質権設定を承諾し、原告からケイビックに対する貸付金を自ら受領したものであるから重大な過失があり、原告に対し錯誤があると主張できない。また被告は原告から貸付金を受領しているのであるから、本件質権設定契約の承諾を無効と主張するのは信義則並びに禁反言の原則に反し許されない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

第三  証拠〈略〉

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、同2の事実は、証人水谷泰の証言及び同証言により成立を認めうる甲第三号証によって認められる。

二  被告とケイビックとの間の本件賃貸借契約の終了及びケイビックの被告に対する本件建物明渡しの時期につき判断する。

1  成立に争いのない甲第四、第八号証、乙第九、第二〇号証、証人木下利彦の証言により成立を認めうる甲第七号証、乙第七号証の一、証人水谷泰の証言により成立を認めうる甲第一一号証の一ないし五、証人藤原肇、水谷泰、木下利彦、大谷清、飯田信行の各証言、被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  被告とケイビックとの間の本件建物の賃貸借契約は、大和ハウス工業株式会社神戸支店(以下単に「大和ハウス」という。)の営業課社員の仲介により成立するにいたったが、ケイビックが使用する建物はスタジオといった特殊な構造をもつ建物であったところ、被告は、その所有の倉庫を取りこわし、そのあとに大和ハウスが建築工事を担当して昭和五九年一一月中に本件建物の建築を完成し、ケイビックは同年一二月初め頃から本件建物でピーク・ア・ブーの名称のもとスタジオの営業を開始した。

(二)  ケイビックは昭和六〇年五、六月ころから経営が悪化し、ケイビックの経営を主宰する藤原肇の知人である木下利彦が資金援助につとめ、ピーク・ア・ブーを同年九月七日設立してケイビックの再建策をはかった。そして被告は、同年一〇月四日ピーク・ア・ブーとの間で、ケイビックとの賃貸借契約の内容のまま、同月一日以降本件建物の賃借人をピーク・ア・ブーに変更する契約を締結し、同年一〇月二五日付書面でケイビックに対し、ケイビックとの本件賃貸借契約は同月一日合意解約し、ピーク・ア・ブーと改めて賃貸借契約を締結したので、ケイビックの本件建物の占有権原は消滅している旨通告した。

しかし、藤原は被告の右通告は一方的と反発し、ケイビックは以後も本件建物でスタジオの営業を続けたが、同年一二月二日手形不渡りを出すに及んで倒産状態に陥り、その後は本件建物に出入りをやめた。

(三)  一方、ピーク・ア・ブーはケイビックの営業を引継ぐこととし、被告とともに、原告に対し、ケイビックの債務を肩代りして引受け、本件建物でスタジオ営業を続ける旨申し入れたが、原告は右申し入れを断わり、ケイビックに対する二〇〇〇万円の貸付金債権の回収にのり出し、被告に対し、質権の設定されているケイビック差し入れの敷金を原告に返還するよう交渉を続けた。

(四)  そのうちピーク・ア・ブーも資金調達が円滑に運ばず、本件建物でのスタジオ営業に行き詰り、昭和六一年四月下旬本件建物から退去した。

ケイビックは、本件建物でスタジオ営業を始めるに当り、撮影機器やスタジオ照明設備等を住商リース株式会社などの会社からリースしており、本件建物から退去した後も、リース物件は本件建物内に残し、ケイビックの営業を引継いだピーク・ア・ブーも、右リース物件を使用した。

(五)  ケイビックは、ピーク・ア・ブーが本件建物から退去したことを知るや、同年五月一四日付書面で被告に対し、本件建物内に残してあるケイビック所有の物件を返還してもらいたい旨申し入れていた。

一方、原告の方もピーク・ア・ブーが本件建物でのスタジオ営業を打ち切り、本件建物から退去したので、被告に対し、ケイビックへの貸付金債権を回収するため、ケイビック差し入れの敷金のうち二〇〇〇万円の返還を要請した。被告は、同年五月から本件建物を被告において管理するにいたっているが、目下大和ハウスと連絡をとり、大和ハウスの仲介で本件建物を賃借するテナントを探している最中である、しばらく猶予してくれといった回答をしていた。しかし、本件建物でスタジオ営業を行うテナントは出現しないままに終り、結局昭和六二年五月大和ハウスに工事を依頼して本件建物を事務所用建物に改装するにいたった。

2  右認定の事実によれば、被告とケイビックとの間の本件建物の賃貸借契約は昭和五九年一〇月一日に合意解約されたわけではないが、ケイビックは倒産により事実上昭和六〇年一二月中に本件建物から退去し、そのあとケイビックの営業を引継ぎ、本件建物を占有使用していたピーク・ア・ブーも昭和六一年四月下旬に本件建物から退去し、被告は同年五月から本件建物を自ら管理するにいたっているから、ケイビックとの本件賃貸借契約は昭和六一年五月一日に終了し、ケイビックは本件建物を被告に明け渡したと認めるのが相当である。

三  そこで進んで被告の抗弁を判断する。

1  敷金返還の特約につき

(一)  成立に争いのない甲第二号証の一ないし三、証人藤原肇の証言により成立を認めうる乙第五、第六号証、第七号証の一、証人藤原肇、水谷泰、飯田信行、杉浦光男の各証言、被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(1) ケイビックは、大和ハウスの仲介で被告から本件建物を賃借することになり、大和ハウスによって本件建物が建築されたが、本件建物は用途がスタジオというので、特殊な構造となり、ケイビックの注文を聞いて建築が進められた。そして本件建物の完成以前に被告とケイビックとの間で本件建物賃貸借の契約内容が話し合われ、ケイビックが差し入れる敷金の金額を四五〇〇万円とし、契約締結時に二〇〇〇万円、建物上棟時に一〇〇〇万円、建物完成入居時に一五〇〇万円をそれぞれ支払うことになったが、被告はケイビックから差し入れられる敷金を本件建物の建築費の一部に充当することにしていた。一方、ケイビックは、被告に差し入れる敷金をすべて金融機関から借り入れてまかなうことにしていたので、ケイビックの経営に当る藤原は、昭和五九年六月原告三宮支店に融資を申し込み交渉を重ねた。

(2) 原告三宮支店でケイビックとの融資の交渉を担当したのは杉浦光男であったが、原告からケイビックに対する融資金はケイビックから被告に敷金として差し入れられ、かつ本件建物の建築費にあてられることがわかったので、杉浦は、被告に対し、ケイビックに対する貸付金につき被告自身の保証を希望したけれども、被告が断ったので、それでは被告においてケイビックが差し入れる敷金の返還請求権につき原告の質権設定を承諾してくれるよう要請し、被告もこれを受け入れた。

(3) 被告とケイビックは、昭和五九年八月二一日付で本件建物の賃貸借契約を締結するにいたったが、主たる契約内容は、賃貸借期間を同年八月二一日から同七四年八月二一日までの一五カ年とする、賃料は月額一六二万円、毎月末日までに翌月分支払い、敷金四五〇〇万円とし、契約締結と同時に二〇〇〇万円、建物上棟時に一〇〇〇万円、建物完成入居時に一五〇〇万円をそれぞれ支払う、といった内容であり、右趣旨を記載した建物賃貸借契約書(甲第二号証の三)を作成して取り交した。ただし、右契約の際には、賃貸借期間内に賃借人の都合により契約を解除する場合、返還される敷金額の控除の割合について細かい取り決めをしていなかったのて、右賃貸借契約書に控除割合の特約は記載されなかった。

(4) ところで、本件建物はケイビックの注文を入れたスタジオ用の特殊構造の建物であり、事務所用建物ではないので、賃借人(テナント)の代替性に限界があり、そう簡単には本件建物を必要とするテナントが出現し、これを賃借してくれるといった期待性に乏しいことが予想できたし、被告は本件建物の建築費として八六〇〇万円もの多額の資金を投下しているので、ケイビックには本件建物を長期間使用してもらいたいといったことから、賃貸借期間を一五カ年と定めたこと、そこで賃貸借期間内に賃借人のケイビックの都合で契約が解除された場合、ケイビックに返還することになる敷金の金額については、もとの敷金額から被告に留保する金額の控除割合、いわゆる敷引の割合を、期間毎に段階づけることが相当だということになり、被告は藤原と話し合い、同年八月三〇日ころ、敷引の割合を、解約が賃貸借開始の日から満五年以内の場合は一〇〇パーセント、満八年以内の場合は八〇パーセント、満一〇年以内の場合は四〇パーセント、満一五年以内の場合は二〇パーセントと、段階づける約定(本件特約)を結ぶとともに、改めて返還する敷金額の控除(敷引)割合を定めた本件特約を記載した建物賃貸借契約書(乙第五号証)を日付を同年八月二一日に遡らせて作成し取り交した。

(5) 一方、原告は、被告においてケイビック差し入れの敷金の返還請求権につき原告の質権設定を承諾してくれるというので、さしあたりケイビックに二〇〇〇万円を融資することになった。そして藤原は原告から交付された同年九月六日付の店舗入居敷金担保差入書及び質権設定承諾書の用紙を被告に提示し、敷金返還請求権を目的とする原告の質権設定に被告が承諾する旨の署名捺印を求めた。そこで被告は、藤原が提示した右書面に、ケイビックと被告間の昭和五九年八月二一日付賃貸借契約書の各条項により敷金より控除した残額について質権設定を承諾する旨の条項を付加したうえ、署名押印して藤原に渡した。藤原及び大和ハウスの社員平塚は、同年九月七日、被告が署名押印した店舗入居敷金担保差入書及び質権設定承諾書(甲第二号証の一)と、敷金の返還につき控除(敷引)割合の特約が記載されていない建物賃貸借契約書(甲第二号証の三)を、原告に交付し、同日中原告からケイビックに手形貸付による二〇〇〇万円の貸付金が交付され、ケイビックは、右貸付金を被告に第一回目に支払うことになっていた敷金として支払った。

(6) 被告は、被告の質権設定承諾書とともに、原告に提示されるケイビックとの本件建物賃貸借契約の契約書は、敷金の返還につき控除割合の特約が記載された方の契約書(乙第五号証)であるものと思っていたのに、実際に藤原から原告に提示されたのは、特約の記載がない方の賃貸借契約書(甲第二号証の三)であった。

(7) 一方、ケイビックは被告に対し敷金を四五〇〇万円差し入れる約定であったのに、原告から融資を受けた二〇〇〇万円のほか、同年一二月中に一〇〇〇万円を差し入れたにとどまり、結局被告としては、ケイビックから差し入れの敷金を三〇〇〇万円に変更することを余儀なくされた。

(二)  右認定の事実によれば、被告とケイビックとの間で、賃貸借期間内に賃借人のケイビックの都合により契約が解除された場合、被告からケイビックに返還される敷金の金額につき、控除(敷引)の割合を定めた本件特約が約定されたことが認められる。しかしながら、被告が原告に対し、ケイビック差し入れの敷金の返還請求権を目的とする原告の質権設定を承諾した際、原告の方に右特約の記載がない建物賃貸借契約書が提示されてしまい、そのため、原告としては、返還される敷金の金額につき、控除の割合の特約が存在することを認識できず、控除割合の特約が付されていない敷金の返還請求権の質権設定を被告において承諾したものと扱ったことが認められるので、結局被告は原告に対し、控除割合の特約の付されていない敷金返還請求権を目的とする原告の質権設定を承諾したものと認めるのが相当である。

2  そこで、被告は、原告に対し行った敷金返還請求権を目的とした質権設定の承諾が返還される敷金の金額につき控除割合の特約が付されていない敷金返還請求権を目的とするものであったならば、被告の行った承諾の意思表示は、その要素に錯誤があったことになるから、承諾は無効と主張する。

なるほど、被告は、原告とケイビックとの間で約定の、敷金返還請求権を目的とする質権の設定を、第三債務者として承諾したものであるが、返還される敷金の金額につき控除割合の特約といった内容は、承諾の意思表示に関し、重要な事項に当たるから、法律行為の要素にかかわるといわなければならない。被告としては、もともとケイビックとの間で、返還される敷金の金額につき控除の割合を約定していたのであるから、原告とケイビックとの間で約定の敷金返還請求権を目的とする質権の設定は、当然返還される敷金の金額につき控除割合が約定された敷金返還請求権を目的としていると認識していたと認められる。そうとすると特約のない敷金返還請求権を目的とした質権の設定を承諾するのであるならば、被告の認識とそごする承諾であるから、被告においてこのような承諾をするはずがなかったと認められる。そうとすると、被告が原告に対して行った承諾は被告の誤信によったものであるから承諾に錯誤が存したといわなければならない。

してみると、被告の原告に対し行った敷金返還請求権を目的とする質権設定の承諾は錯誤により無効というべきである。

3  原告は、敷金の返還につき、五年以内に賃借人の都合で賃貸借契約を解除の場合敷金の全額を控除できるといった特約は公序良俗に反し無効であると主張するが、右の特約は、前記の1(一)(4)で認定の事情が存在することから約定にいたった特約であり、無理強いしたわけではなく、当事者間で納得のうえでの特約と認められるから、公序良俗に反する目するのは相当でなく、原告の主張は理由がない。

4  さらに原告は、被告が行った質権設定の承諾に錯誤があるとしても、右錯誤につき被告に重大な過失があるので、承諾を無効となしえないと主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠は見当らない。前記認定のように、原告から融資を受けるケイビックの経営者藤原において、被告との間で返還される敷金の金額につき控除の割合を特約しているのに、あえて右特約を秘匿し、特約の記載のない賃貸借契約書を原告に提示し、原告から融資を受けたものであって、これを捉えて被告に重大な過失があると責めるのは酷といわざるをえない。この点の原告の主張は採りえない。

四  以上のとおりで被告の抗弁は理由があり、被告が行った敷金返還請求権を目的とした原告の質権設定の承諾は、被告の錯誤により無効といわなければならないので、有効な質権を前提とする原告の本訴請求は理由がない。

よって原告の本訴請求は失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

物件目録

神戸市中央区栄町通六丁目三一番地一、三二番地一(仮換地 生田地区三宮元町換地区七一街区三号地一)所在

家屋番号 三一番一の一

鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺三階建撮影所

事務所

床面積

一階 五〇五・九三平方メートル

二階 八一・八八平方メートル

三階 三〇二・七二平方メートル

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